第9回 大和川はもともと?② | 和ホームの地域貢献活動

2015年03月17日

第9回 大和川はもともと?②

付け替え工事は1704年2月27日から始められました。
 
・付け替え工事の様子
工事はおよそ半分を幕府が行い、残りの半分をいくつかの藩に分担するように幕府が命令を出しました。
その工事の責任と費用はそれぞれの分担で行わせました。
働く人々の世話(宿・食事)は、近くの村などでしていたそうです。
働く人々には村人とのトラブルがないように色々な掟を幕府は出しています。
 
今から300年も昔のことですから工事と言っても、今のような機械は無く、全ては人力で行われました。
鍬や鋤で土を掘ったり、もっこや畚を担いで土を運んだりした工事が沢山の人々によって毎日毎日繰り返されました。
 工事にかかった日数…225日
 かかった費用…約71503両
 工事に関わった人数…毎日約1万人
 川の長さ…約14.3㌔m
 川の幅…約180m
 堤防の高さ…約5m
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新しい大和川の半分以上は低い平地を流す為、川底を掘っていく方法ではなく、堤防を盛り上げていくことが主な仕事でした。そして、長い土手の形に積み上げて固め、丈夫な堤防を造っていきました。
しかし、残りの部分、特に堺市の浅香山の付近は高台となっているため、掘っていかなくってはなりませんでした。
そして、その掘った土で「よさみ池」が埋められたとも言われています。
また、このあたりの大和川は、よさみ池や浅香の谷を通り、南に大きく曲がって流れていきます。
 
・工事の工夫や苦労の様子
新しい大和川は南から流れてくる大乗川、東除川、西除川を横切る形で付け替えられました。
これらの川の近くに住む人々は、付け替え前も毎年のように洪水に悩まされていました。
それで、新しい大和川の高い堤防が出来ると、水はけがいっそう悪くなると心配しました。
また、東除川、西除川が新しい大和川にうまく流れ込めず、水が溢れる心配もありました。
 
そこで、当時の工事関係者は新しい大和川に沿って長さが約13.2㌔mの落堀川を新たに作り、そこに南から流れてくる水を一度ここに流し込み、西の低くなったところで大和川に合流するという方法を考え出しました。
また、大和川に流れ込む落堀川の水をなるべく減らすため、大乗川を今の羽曳野市の古市の辺りで、石川に合流させました。
 

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