- 大和川の水質について
- 祝!10周年 大和川市民ネットワーク
- 大和川・石川クリーン作戦の中止
- 大和川市民ネットワークだより vol48
- 大和川の江戸時代の大工事について
- 夏休みの大和川のイベント
- 素晴らしい大和信用金庫さんの取り組み
- 第18回 大和川源流・竜田川源流訪問(2019年5/25開催)
- 第17回 「わたしたちの大和川」研究会主催のイベントの報告
- 第16回 紀州街道と大和橋
- 第15回 大和川と奈良の都
- 第14回 大和川を綺麗にする取り組み「きれいな川をとりもどそう」
- 第13回 大和川を綺麗にする取り組み、大和川堺市「水辺の楽校(がっこう)」
- 第12回 川を綺麗にする取り組み、佐保川「水辺の楽校(がっこう)」
- 第11回 大和川はもともと?④
- 第10回 大和川はもともと?③
- 第9回 大和川はもともと?②
- 第8回 大和川はもともと?①
- 第7回 大和川の源流は?
- 第6回 「アクリルタワシ」は優れもの
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第16回 紀州街道と大和橋
紀州街道は昔から大切な道で、大和川つけかえの時、ここだけ橋がかけられました。
江戸時代には紀州(和歌山)藩や岸和田藩の参勤交代の行列もここを通りました。
堺の中心部では大道(だいどう)と呼ばれ、現在は路面電車の阪堺線が走っています。
●大和川つけかえ前までは、堺と住吉は一体だった!
400年ぐらい前、大和川がつけかえられ前の住吉大社のお祭りの様子が描かれた大きな屏風があります。その屏風を見ると、行列が堺の町と海辺を通っています。住吉大社は海や船の安全を守り、堺の港を守る神様でもあったのです。
●大和川のつけかえ後も、神輿の「お渡り」が続いた
住吉大社の夏祭りの行列は大和橋を渡り、神輿は川を渡りました。川の中州で神輿の担ぎ手が交代します。1960年から途絶えていたその「お渡り」が2004年に復活をしました。
●新田会所?大和川が広げた新田:鴻池新田会所
もとの大和川や池の開発には多くのお金や人手がかかるため大商人たちが権利を幕府から買って開発を進めました。
広くて大きな新田会所が残されている鴻池新田(東大阪市)は、新開池(しんがいけ)あとに開かれました。
1707年に121軒757人が引っ越してきました。
新田会所とは、新田の管理事務所で、小作料を取り立てて幕府に年貢を納めました。新田の住人や橋・道・水路を管理して、訴訟の裁判も行いました。今の市役所と税務署・裁判所の仕事をしていました。
そのうち鴻池新田会所では地域の資料や農具・生活用具なども展示され、当時の会所の様子をゆっくり見学ができます。(JR学研線 鴻池新田駅からすぐ TEL06-745-6409)
●川跡の八尾にもたくさんの新田が開かれました:安中新田会所跡 植田家住宅
安中新田の記録によると、1708年の新田の作物は全て「綿」だったそうです。旧植田家住宅が公開され、絵図や民具などが展示されています。(JR八尾駅南200m TEL072-992-5311)
●新大和川が広げた新田:加賀屋新田会所
新しい大和川は河口に土砂を運び続け、陸地となりました。つけかえから20年後に新田開発が始まりますが、高潮や作物への塩害などの闘いが続きました。加賀屋新田会所のあとの公園で建物や庭を見学できます。(地下鉄4ッ橋線 住之江公園駅南900m TEL06-6683-8151)