原発について考える
これまでに幾度も環境についてのお話をしていますが、今回は「原発」についてです。
和ホームが日頃から環境活動に取り組んでいるように、福島県の多くの子どもたちも色々な環境活動に取り組んでいました。以前、テレビで昭和村の取り組みを見たことがありますが、微笑ましくも子どもたちのしっかりとした考えに感動した記憶があります。
しかし、その活動は、東日本震災の原発事故によって、活動不能な事態に陥りました。
昭和村の活動だけではありません。原発近くの子どもたちにとっては、自らが実践していた環境活動が出来ないどころか、住むことさえ出来なくなったのです。
「原発」は果たして必要なものなのでしょうか?
和ホームで、環境活動に参加した際に、原発の話題になったことがありました。
賛否はあるものの、参加した人たち全員が、「不必要」という意見になったと記憶しています。
和ホームは、住宅メーカーなので、関西電力さんとのお付き合いは切っても切り離せない関係にあります。
つまり、和ホームを含めて多くのメーカーさんは、いってみれば、関西電力さんの恩恵というか、お世話になってきました。
「オール電化」という言葉などはその象徴で、メーカーさんに対しては、「オール電化キャンペ-ン」というのが、原発事故以前には、本当に頻繁に実施されていました。
もちろん、和ホームの兄弟会社である、椎葉工務店でも参加してきました。
しかし、考えてみれば、あのキャンペーンの元は、電気の需要喚起であり、それは、原発が礎になっていたのです。
もっと以前から、原発については考えないといけなかったと思います。
「オール電化」のCMやキャンペーンが街中に流れて、暮らしが便利になり、しかも、電力料金が安く手に入れることができる・・・私たちは、どうしても、「楽」や「便利」が身に付くとそれが当たり前になり、「もっと、もっと」を求めてしまいます。
原発事故が起こって、私たち、和ホームや個人の生活では、電力料金の値上げといったことを我慢すればよいだけですが、福島県の原発近くの人たちは、生活そのものを奪われ、さらに心まで奪われるという異常で悲しい結果になってしまいました。
先日「原発ゴミの処分」についていくつかの新聞で論評がありましたが、我が国には、現時点で相当な使用済燃料が眠っています。いわゆる核のゴミの処理については、後進国なのです。
万が一、日本が脱原発に舵をとったとしても、17,000トンもの核のゴミの課題は残ったままなのです。
原発の恩恵を受けた限りは、私たちは、核のゴミ問題について直視し、前向きにしっかりと議論すべきだと私は思っています。