邪馬台国の謎の解明 | ブログ

2018年05月18日

邪馬台国の謎の解明

こんにちは、和ホームの椎葉です。
5月も後半に差し掛かってきましたが、皆さまは如何お過ごしでしょうか。私は、相変わらず岸和田を中心に、愛車の軽自動車を連日飛ばしています。
 
さて、歴史好きの私には興味津々の記事が出ていたのでご紹介します。
「邪馬台国」の近畿説を裏付けるビックニュース!!です。邪馬台国と言えば、卑弥呼が納めていた都というのは、皆さまもご存じでしょうが、この都の所在については、昔から諸説がありますが、ここ最近は、九州説と近畿説に絞られ、さらに、近畿説の可能性が高いと言うことも、歴史好きな方には割と知られたお話しです。そして、近畿説の詳細な所在地は、「奈良県」の纏向(まきむく)に限定されてきましたが、今回はその纏向の遺跡から出土した、桃の種の分析により、さらに邪馬台国がここにあったという可能性が高まったというニュースです。

奈良県の纏向遺跡 奈良県の纏向遺跡
 
邪馬台国の最有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡の中心的施設跡で出土した大量のモモの種について、同市纒向学研究センターが14日、放射性炭素(C14)年代測定で「西暦135~230年の間に実った可能性が高い」とする分析結果を公表したのです。私には正直、「どうして種から分かるのか??」って思いました。
 
以下、新聞の記事から拝借しましたが、卑弥呼(248年ごろ没)の活動時期と重なる今回の年代は、土器形式から得てきた推定年代とも一致し、遺跡が邪馬台国の重要拠点だったとする「畿内説」を強める研究成果といえると書いてあります。 測定したのは、09年に見つかった大型建物跡脇の穴「土坑(どこう)」から出土した約2800個のモモの種のうち15点で、モモは、建物解体時に祭祀(さいし)に用いられたとみられています。研究センターが大学に測定を依頼した結果、12点は230年までの約100年間に実り、ほぼ同じ年に穴に捨てられた可能性があるということです。そんなのわかるんですね~。
 

テレビのニュース画面より
 
分析に使われた桃の種 分析に使われた桃の種
 
研究者が結びの言葉として、「現時点ではこれが限界。数字をどう捉えるかは考古学者の方たちに委ねたい」 「過去を調べて、未来を見る。やるべきことはまだたくさんある」。何ともワクワク感のある言葉に、いつか邪馬台国の謎が解明されることに期待したいですね。
 

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