「椎葉村の山と川」日記⑯ | ブログ

2014年09月15日

「椎葉村の山と川」日記⑯

神話の国、宮崎に因んで、800年前のとっても感動的な物語をご紹介しま~す。
このブログにも、何度もご紹介していますが、「鶴富屋敷」の元になった、「那須大八郎と鶴富姫の恋物語」です。
物語は「椎葉村観光協会」さんのウェブサイトから大部分をお借り致しました。
決してサボったわけではございませんので(>_<) では、始まり、始まり~~
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800年ほど前、有名な壇ノ浦の合戦があり、激戦の末に平家は敗れ、生き残った者は逃避に走り、険しい山を越え、道なき道を通って、ようやく山深い椎葉の地にたどり着きました。
「敵もこんな深谷までは追いかけてこないだろう」平家の一行は、ほっと胸をなでおろしました。
しかし、いつしかこのことは敵方に知れわたり、源氏の総大将、源頼朝は、家来の那須与一に追い討ちを命じました。
ところが、与一はこのとき病気にかかり、代わりに弟の大八郎が椎葉に向かいました。
 
椎葉にたどりついた大八郎が目にしたものは、戦う気持ちを忘れたかのように一心に畑をたがやす平家の人々でした。
「ここにいる者たちは、もはや源氏に対する憎しみや敵意などもっていない」そう感じた大八郎は、「平家の残党は一人残らず討ち果たしました」と、頼朝にうその報告をした後、この地に屋敷を建て、この場所で生活していこうと決めたのでした。
大八郎は、平家の守り神をまつる神社を建てたり、平家の人々に農業を教えたりと、彼らの生活を助けながら、ともにくらしました。
 
その後、しばらくして大八郎は平家の「鶴富」という名の美しい姫と出会いました。
静かな山里で親しく話をするうちに二人の間に恋心がめばえました。
しかし、二人は源氏と平家のかたき同士。
最初、二人は人目をさけて会っていましたが、そのうちに大八郎は愛する鶴富姫と生涯をともにすることを決めました。
二人の結婚を村中が祝福し、住まいを構えました。それが、初期の「鶴富屋敷」です。
しかし、ある日のこと、大八郎に、「すぐに椎葉を離れ、戻ってくるように」との命令がおりたのです。
 
そのとき、すでに鶴富姫のお腹の中には大八郎の子がやどっていましたが、命令ですから大八郎はもどらなければなりません。
いよいよ椎葉の地を離れる日がきました。
大八郎は鶴富姫に向かって、「とうとう、この日がきてしまった。おまえのお腹の子は確かに私の子だ。もし、生まれてくる子が男の子なら、私のふるさとによこしなさい。もし、女の子ならこの地で育てるがよい」と言い残すと、親と子の証拠の品として、刀を与えました。
大八郎が椎葉の地を離れた後に、鶴富姫は出産しました。生まれた子は女の子でした。
母となった鶴富姫はその子を大切に育て、その子が成長すると婿を取りました。
そして、愛してやまない大八郎の「那須」の姓を名乗らせたのです。
 
おしまい。
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どうですか?
いつの時代にも恋物語というのは、情熱的であり、せつないものですよね。
ということで、椎葉村には、「椎葉」という姓と、「那須」という姓がとても多く、大八郎の遺志を継ぎ、今でもみんながとても仲良く暮らしています(^^♪
 
 

(鶴富姫のお墓)
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(32代続く那須家。ここに全てのご先祖が眠っています。)
3887椎葉村ブログ0915

 

(大八郎と鶴富姫の恋物語を神妙に読む甥っ子親子)
3888椎葉村ブログ0915

 

(那須家のおばあちゃんから鶴富姫のお話が聞けました!)
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