「黒門市場」のお話しです。 | ブログ

2018年11月28日

「黒門市場」のお話しです。

こんにちは。
「木」が大好き!和ホームの椎葉正四です。
11月もいよいよ終わりに近づいてきました。
来週は、なんと!!12月です。
みなさまも、お忙しい季節に入りますが、体調には
お気をつけくださいね。
 

さて、一昨日の夕刊に「黒門市場」の話題が出ていました。
私は、若い頃、よくこのあたりを含めた、いわゆる
「ミナミ」に行ったものです。
もう40年くらい前のことになるかもしれません。
九州の宮崎の田舎から出てきた私にとっては
ミナミは、「大都会」で、あこがれの街でした。
ちょうど、今くらいの季節になると、お正月に向けて、
しばしば、黒門市場の話題が、上がってました。
今日は、この黒門市場について少し書いてみます。
 

そもそも、黒門市場とはどのあたりにあるかですが、
写真のマップをご覧ください。
関西の方であれば、およその見当はつくと思います。

黒門市場の位置 黒門市場の位置
 

難波駅から、東へ800m程度のところくらいに
当たるでしょぅか。
それでは、そもそもいつこの黒門市場が出来たかですが、
江戸後期の文政5年~6年の頃に、毎朝魚商人、
がここに集まり、魚の売買をし、
午後には諸方のなぐれ魚(売れ残りの魚)を持ち寄り
売り捌くことになり、それが、堺筋に沿った
黒門市場に発展したということです。
 

名物の大提灯 名物の大提灯
 

しかし、それらの露天商は、国内博覧会(明治36年)の開催を機に
その景観を損なうので、その開催直前に堺筋から路地を入った、
黒門筋に市場を開設したことで、現在の黒門市場の原型が
出来たとされています。
では、黒門市場の「黒門」名の由来はなんでしょぅか? 往時、今の日本橋二丁目交差点東南角に、
堺筋に面して圓明寺という大きな寺がありました。
 

円明寺 円明寺
 

黒門市場は圓明寺市場と呼ばれた時期があったそうで、
圓明寺の東北側に黒門が建っており、
寺が明治45年1月の南の大火で焼失し東住吉区に移転すると、
市場が寺の黒門をシンボルとして受け継ぐことで、
「黒門市場」と称するようになったということです。
因みに地図は、明治44年(1911)南の大火前年の地図。
堺筋はまだ拡張されておらず、千日前通りもまだ
見当たりません。写真は、堺筋と千日前通りの
交差点ですが、時代も変わったものですよね。
今や「黒門」は、アジアのブランドになりつつあります。
私も長らく足を運んでいませんが、今年のお正月の
買い出しに少し様子を見にいきたいと思っています。

 
堺筋と千日前通の交差点 堺筋と千日前通の交差点

 
 

最後まで読んで下さり有難うございました。
ランキングに参加しています。
 
励みになります。
↓下をポチっと応援クリックお願いいたします。↓
 


にほんブログ村

 
 

和ホームのHPはこちらです。
20171013 和ホームロゴ

 
 
 

和ホームを体感出来るモデルハウス見学会

カタログを眺めてイメージすることから始めましょう 資料請求はこちら

Copyright© 2014 Nagomi-Home co.,ltd. All rights reserved.
株式会社和ホーム
〒596-0823
大阪府岸和田市下松町1丁目7-1
建築業許可:大阪府(22)第135538号