第7回 大和川の源流は? | 和ホームの地域貢献

2015年01月14日

第7回 大和川の源流は?

大和川は、1本の流れだけで出来ているのではありません。
石川や竜田川などのたくさんの支流が集まって出来ています。
 
・大和川の地形の様子
大和川は、初瀬川の上流にある笠置山地の柘植高原を源としています。
奈良盆地の周りの山から流れてくる支流の水を集めて「亀の瀬」を通って大阪平野に流れ出ます。
大阪平野に流れ出た大和川は、南から流れてくる支流を合わせて上町台地を横切りながら西に流れ、大阪湾に流れこみます。
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・大和川を取り巻く地域
大和川の様子は、上流から河口に至るまで、ずいぶん変化に富んでいます。
上流では小さな浅い川ですが、下流では川幅が広くなっています。
また、山地を流れる川と住宅地を流れる川とでは、川の様子が大きく違ってきます。
大和川流域を持つ市町村は多くあり、人口は凡そ200万人の人口です。
市町村ごとの人口密度をみると、大和川の中流から下流にかけて、人口が集中しています。
 
・昔の大阪平野と大和川
大和川が流れ込む大阪平野は昔はどのような様子だったのでしょう?
今から5000~4000年前、大阪平野の北の部分(河内平野)は一面の水に覆われた入り江になっていました。
その入り江に大和川が流れ込んでいました。
長い年月の間に大和川や淀川の川の流れが運ぶ土や砂で、次第に入り江が埋め立てられました。
このようにして出来たのが「大阪平野」です。
この大阪平野は、大和川や淀川が運んできた肥沃な土のお陰で、米つくりに適していて、昔から人々にとって住み易いところだったようです。
 
・交通路としての大和川
大昔から大和川は交通路としても利用されてきました。
大阪府柏原市高井田にある古墳から、その様子を描いたのでは?と、思われる壁画が見つかっています。
壁画には、舟を操っている人の様子が描かれています。
この頃から、次第に官道が整備されていきます。
大和川は古代日本の玄関口であった大阪湾と奈良盆地を結んだ「川の道」として大きな役割を持っていました。
奈良の飛鳥地方に都があった時代には中国の使者が瀬戸内海を通って難波津に入り、大和川を遡って飛鳥の都に入ったと伝えられています。
大和川の川筋は、昔と今とでは大きく変わっています。
しかし、奈良盆地と大阪平野を結ぶ交通路としての役割は、100年ほど前までは変わらず続いていました。

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