興福寺の中金堂が再建しました。 | ブログ

2018年10月08日

興福寺の中金堂が再建しました。

おはようございます。和ホームの椎葉正四です。
先日の24号台風は大阪では大きな被害がでなくてよかったです。
和ホームでは、21号台風で被害に遭われたお客様から、
修理等の依頼を相当数頂いておりますが、
なかなかみなさまのご要望にお応えすることが
出来ず申し訳なく思っております。
引き続き、時間がある限り頑張りたいと思っています。
 

さて、今日の話題は、以前このブログでもご紹介した
興福寺の中金堂の再建完成のニュースです。
写真は、建築中の現場です。
あまりの大きさと、その大きさからは想像もできない、
繊細な技法や見事な木々には、思わず息をのんでしまいました。
現代でこそ、設計や部材の調達は、コンピュータによって
描かれたり、集められたりしますが、往時を振り返れば
先人たちの経験や技の凄さに圧倒されるばかりです。
 

中金堂全体を覆った巨大な現場です。

中金堂全体を覆った巨大な現場です。

垣間見られた見事な木造美

垣間見られた見事な木造美


 

私は、木造建築に惚れ込んで、天職ともいえる
今の仕事をさせて頂いていますが、それだけに
有史以来の様々な「木造」建築にはとりわけ目がないです。
さて、話は戻りますが、興福寺の中金堂(ちゅうこんどう)が
301年ぶりに再建されたことを祝う法要が7日、
約3千人が出席して営まれました。
 

盛大で荘厳な式典

盛大で荘厳な式典


 

法要は11日まで5日間続き、計約1万4千人が
参列すると見込まれています。
出来れば私も行きたかったです!
法要は午前10時に始まり、祝いの能楽「翁(おきな)」などに続き、
ハスの花びらをかたどった紙片「散華(さんげ)」が、
中金堂や隣接する塔の屋根からまかれた。
 

中金堂は東西37メートル、南北23メートル、
高さ21メートルで、平城宮に復元された宮殿施設、
第1次大国殿とほぼ同じ規模ということです。
奈良では江戸時代に再建された大仏殿
(東西57メートル、南北50・5メートル、高さ46メートル)に
次ぐ大きさの木造建築ということです。
 

図3.jpgららら
 

興福寺は710年の平城京遷都と同時に創建され、
中金堂はその4年後にできています。
平氏の南都焼き打ち(1180年)など戦災や火事で7回焼失し、
その都度再建されたというから、その時代時代の歴史復興への
執念を感じることかできますね。
しかし、江戸時代の大火の被害を最後に、再建が見送られて
きました。そこで、1989年に再建計画が持ち上がり、1998年から
20年がかりで今回の完成に至りました。
それにしても、現代の技術や土木設備を駆使しても困難な
事業を、よくぞ奈良時代にやってのけれたと
ただ、ただ、感心するばかりです。 
 

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